作者:高木勇藏
所在:金沢
経歴:街の歴史研究家
趣味:植物栽培、写真
編集:刈本博保
つれづれなるままに

自分の寿命が判った時


 「明日の朝、目が覚めるのか?」と思って、寝床に入ったことはない。いわんや自分の寿命について考えたことは今まではなかった。
 以前、長期入院中の友人を見舞いに行った時、彼は「亡き子供のそばに早く行きたい」と言っていた。その時、私は彼に「人の寿命は判らないものであって、各人には与えられた寿命があり、それを生ききらなければ死ねないものなのだ」といったことがある。人の寿命などは判らない方が良いのだとかねがね思っていた。
 最近、病院で「膵臓癌」と診断され、切除手術をする際に、「手術をしても余命は四、五年」と医者に言われた。私はこの言葉を聞いて非常にショックを受けた。退院後、まだ十分に体調は回復していないけれども、以前から行ってきた卯辰山や浅ノ川界隈のあまり知られていない歴史探索、過去の想い出の整理やこれからの生き方などを考えていた。
 しかし近所のコミュニティ「人見橋」の集まりに出かけたところ、「誰も語りたがらない入院体験について話してほしい」と依頼された。せっかく高い医療費をかけて手術を受けた私の体験を、皆さんに話しておこうと思う今日この頃である。