<参照>
電卓のデジタル数字のように橋を渡る。


  






作者:馬鹿吐露
所在:金沢
経歴:不詳
趣味:バドミントン、囲碁
小  説


金沢城




兼六園





常盤橋





天神橋





梅の橋

 「もどり橋」 

1 踊りましょう

「僕と踊っていただけませんか」
「えっ。私と」
「はい。いいですか」
「私、踊れないのです」
「僕がリードしますよ」
ダンスホールの生バンドがブルースをかけていて、二人は多くの踊りの輪の中に入っていった。
「私、下手でしょう」
「少しずつリズムに乗ってきましたね」
「スロー、スロー、クイッククイック」
「そうです、僕の足を踏んでもかまわないですよ」
「スロー、スロー、クイッククイック、コーターターン、ライトシャッセ」
「出来るじゃないですか」
「あの、はい」
音楽が、ジルバのリズムに変わった。
「私には、難しいです」
「あなたはリズム感がおありだから出来ますよ」
「ね。出来るでしょう」
「私、今日はじめて踊りますの」
少し汗がにじんでくる。生バンドが休憩をとった。
「ありがとうございました。私もこれからも練習してみようかな」
踊り疲れた智子の友人が来て、
「疲れちゃった。智子さん、もう帰らない」
「えぇ」
「せっかく教えていただいたのに・・・」
「いや。御上手になられますよ」
「それでは、失礼します」
今まで触れていた手の感触と少しの疲労感とそして名前ぐらい聞いておけばよかったのにとの後悔も脳裏をかすめた。
 僕、芥川洋は四十八歳のエンジニアリング会社に努めるサラリーマンである。学生時代から続けているダンスは、近所のダンスの先生の個人教授を受けてきたものである。女性と組まずに、コーターターンを何回も一人でやらされたり、キューバンルンバでは馬脚を壁に向かって何度も練習してきたので基本は出来ている。しかしこの頃は、新しい踊り方がでてきているので、少し古典的な踊り方をしているのではないかと思っている。でも、クラブのホステスさんにダンスを教える事もあり、先生踊ってと言われることもある。ダンスは紳士のたしなみだと思っているので、女性の求めがないかぎりは、チークダンスはしないことにしている。

2 偶然に会う

 その日は、残業もなく久しぶりに早く帰ったので、息子に湯豆腐の味を覚えさせようかなと思い、うめの橋の榧の板に雄々しく「とうふや」と彫った看板がある近所の豆腐屋さんに絹ごしの豆腐を買いに行った。
「こんにちは。絹ごしの豆腐を3丁と、厚揚げを1枚下さい」
角刈りで「とうふや」の前掛けをした親父さんが、
「あいよ、今日は湯豆腐でもするのかい。厚揚げは、今揚げた所だからガスで少し焦げ目をつけるだけでいいよ」
「今日は会社が早く引けたので、息子と湯豆腐でもしようかと思ってね。焼き厚揚げは醤油をたらすと日本酒にはぴったり合うよ」
「お前さんも、奥さんをなくして大変だね」
「もう慣れてしまったよ。ま、適当にやっているだけなのだけど」
5年前に、妻を癌で亡くして以来、十九歳になる一人息子を男手ひとつで育ててきた。
豆腐屋の奥さんが出て来て、湯豆腐はあまり煮立てず、醤油だしと生姜で食べるといい、葱と椎茸と春菊がいいとか、何やこれやと世話を焼いてくれる。それから野菜や調味料を買うために近くの、八百屋に行った。先客が来ていて店員さんと話しこんでいるので、奥の方に入り籠に野菜を入れていた。
「あれ、こんにちは」
「ああ、」
「先日はありがとうございました。お近くにお住まいですか」
「あ、はい」
先日、ダンスを踊った女性から声をかけられた。
「あれから、私もダンス教室に通うようにしました。毎日が楽しいです」
生活じみた自分を見られているようで、たじたじしてしまい「はあ、はあ」と言っただけで別れてしまう。
「芥川の旦那、ダンスをやられるのですか」
「ああ、うん」
と、店員は、歳不相応な事をしているなと何となくじろじろ見た。
店を出ると、ずっと先の方に女性の後ろ姿が見えたが、そのまま、家路に急いだ。
 野菜を適当に切り、水にだしと醤油を入れて少し煮立ったところに豆腐を入れる。日本酒二合を燗して九谷焼の徳利に注ぐ。庭先で、お猪口に酒を入れながら、厚揚げに舌づつみをうった。息子は、冷蔵庫の中の他の惣菜も持ってきて黙々と湯豆腐を食べていた。

3 ダンス教室にて

薄いピンクのフレアスカートを後ろにはねながら、ダンス教室の貴子先生が話しかけてくる。
「芥川さん、次回のダンスパーティはね、必ず女性をエスコートしてくるようにと言うことになっているのよ」
「大丈夫」
ダンス仲間の男たちは、ニヤニヤしながら俺たちは大丈夫と自信ありげに頷いていた。
女性達は、先役済みというような顔でこちらを見た。
「はあ、なんとか」
会社の同僚や部下の顔が浮かんできたが、断られるだろうなと思った。
それからの、一カ月は何となく憂鬱で、相手の女性を探すこともせず、パーティ会場に行けば、だれか一人身の女性がいるだろうと思っていた。もし、いなければ、急用が出来たことにして、引き揚げればよいと高をくくることにした。
  
4 ダンスパーティ 

ダンスパーティの会場に足を踏み入れた。教室仲間の男達はみんな女性をエスコートしてきていた。また女性も男友達と来ているみたいで、一人の余分もなさそうであった。僕が通っている教室以外の生徒さんも来ているようだけれども、其々がパートナーを決めているみたいだ。携帯電話でもかけるふりをして、会社で急用が出来たから帰りますと言おうかなと思った矢先。
「あの。すみません」
振り返ると、先月お相手した女性から話しかけられた。
「あれから、ダンス教室に通っているのですが。初心者なので誰からも相手にされないのです。ダンスを教えていただけませんか」
「はい。いいですよ」
上ずった声で応えた。
直木智子さんは、丸顔で目が大きく、はきはきした女性である。歳の頃は三十歳前後で、髪を栗色に染めている。今日は、薄い紅色のワンピースのフレアスカートを着て、同色系のダンスシューズを履き、体は小柄で、華奢に見える。肩越しからは、柔らかい香水の香りがした。
「スロー、スロー、クイッククイック」「コーターターン、ライトシャッセ」「姿勢を正しく、堂々と、みぞおちあたりを押して」「肩の力を抜いて」
生バンドの演奏が数曲目に入ると、
「芥川が綺麗な女性とダンスをしている」
と言う仲間の視線を感じるようになった。
「ターンは小さく」「体を離さずに」「美しく踊って」「胸を張って」
と小声で話しかける。
女性は、短期間でダンスが上手になる。
ダンスパーティが終了後、教室仲間と別れて、直木智子さんと近くの喫茶室にいた。汗の少しにじんだ顔に、かすかな化粧をしてきたようだ。声は弾んでいた。
「今日はありがとうございました」
「実戦的で、非常に分かりやすく教えていただきました」
「色々な人と踊ってみるのも勉強になりますよ」
「これからも教えていただけませんか」
「え。はあ」
少し思いもかけない気がしたので、少し気の引けた返事をしたけれども、いつでも教えたいと思う気持ちを隠せなかった。しかし、今日のパーティに参加しようかどうかを迷っていたことなどはとうとう話しできなかった。