<参照>
電卓のデジタル数字のように橋を渡る。


        

       







小  説


金沢城




兼六園





常盤橋





天神橋





梅の橋
5 2人だけで

今回のダンスパーティをきっかけに、教室は違うけれども市や文化サークルが開催するダンスパーティに一緒に出かけた。
「今度は、ルンバやタンゴに挑戦したいです。アルゼンチンタンゴなんかは情熱的ですね」
「女性の魅力を最大限に引き出すダンスですから」
「芥川さんは、ご近所らしいですけれど、おひとり身ですか」
「いや。妻に五年前に先立たれまして、今は息子と二人暮らしです」
「私も、主人を事故で先立たれてから、おばあちゃんと一五歳になる娘と三人で生活しています。私は、保険会社の事務の仕事をしていますが、若い人についていくためにダンスをしているのかもしれません」
「アラフォーなのです」
「ええ。もっとお若いと思っていました。僕は、するとアラフィフティと言うのですかね」
少し周りの視線を気にしながら話しているので、お互いに歳の話しはやめましょうという目配せをした。

6 お付き合いいただけませんか

ダンスがだんだん上手になり、一緒に出かけるダンスパーティでは、曲を聞くやいなや、すぐに二人で踊りだす。まるで、真っ白なキャンバスの上に、二人のシルエットで描かれた絵のように、ある時は大胆に、ある時は繊細に自由に踊った。教室仲間から羨望の眼で見られるようになる。踊りながら耳元に囁いた。
「あの。今日少し時間をいただけますか」
「ええ。はい」
高層階のホテルのラウンジは、ロウソクの灯がほの紅くゆらぎ、遠くのビルのランプは、夜のシルエットを盛りたてていた。
「飲み物は、何にします」
「アルコールは弱いので、ジュースかなにか」
「僕は、カクテルにしようかな」
ウエイターが、テーブルに飲み物を運んでくると、まき興された風でロウソクが少しゆらいでいる。
「単刀直入にいいます」
「はい」
「僕には一人の息子がいますが、その・・・。僕と結婚を前提にお付き合いいただきたいのです」
「あ、いや。断ってもらっても結構です」
「私には、おばあちゃんと娘がおります。それでもよいのですか」
「家族五人で一緒に住みたいということです」
「しばらくは、お互いの家庭の事やこれからの人生の事を考える機会にしたらいかがでしょう」
すごく落ち着いた言葉で女子マネージャが、後輩を諭すような言い方である。其々の家庭を幸せにしなければ、軽はずみなことはしてはいけないとお互いに思っていた。

7 もどり橋伝説

 今夜も、ダンスパーティの帰り路である。
「あれから色々な事を考えてきました。でも、私達だけが幸せになって良いのでしょうか。先立たれた人への思いや子どもや家族の事を考えると今のままでいいのではないかと」
「僕も、そのことは考え続けてきました。」
「しかし、故人は分からないが、周りの人はきっと喜んでくれると思います」
「いつか、娘やおばあちゃんに相談しなければなりません。それまで待っていてくれませんか」
「いいですともあわてる事ではありません。いつまでも待ちます」
しばらくお互いの目を見つめあっていた。
「私達の街に、もどり橋がありますよね」
「ええ。どこですか」
「さいの川にかけられている橋で、ときの橋、あまの橋そしてうめの橋に願をかけて恋人同士が渡ると、周りの人も必ず祝福してくれるという橋です。一度決心したらもとに、戻れなくなることからもどり橋といわれているそうよ」
「もどり橋なんて、初めて聞いたな」
「新月の夜に橋を一筆書きの様に渡り続けると、十か月後に願いをかなえてくれるという伝説なのです」
街の中心を流れる「さいの川」は、神の住む「しろい山」を源流にして、夏でも雪解けの水を満々とたたえている。「あまの橋」は昔「天の橋」と書かれていたが、「しろい山」の登山口になっていて、この橋を渡って、神の住む「しろい山」、すなわち天に上る登竜門をなしている。「ときの橋」は「時」を守護する神に通じる橋であり、そして「うめの橋」は地面に大輪を咲かす梅の木から来ているそうだ。宇宙開闢以来の天と地と時間を守護する神様に参拝するために渡る橋々である。それが、明治以降の西洋文明の占星術と合体して、もどり橋伝説が出来たようである。その「もどり橋」も、明治時代以降、大水害にあうたびに流失したが、地元の強い要望でその都度再建されてきた。再建の度に地元の親子3代の渡り初めがあり、天、地、時そして人が、融合して調和していくことが祈願された。
願かけの行では、8の数字の3本の横棒を橋に擬え、恋人同士が一筆書きのように歩く。例えば6であれば、下流の「うめの橋」の右欄干で恋人同士が落ちあい、うめの橋を渡り、左岸の河岸を登り、二つ上流の「ときの橋」まで行く。そして、「ときの橋」を渡り、右岸の河岸を下り、真ん中の「あまの橋」を渡ると、一筆書きで6の字が出来る。ただし、3の字と4の字はひと筆書きにならず重複するところがあるので、橋を横切る時または河岸を歩く時、男性が女性を背負うか、抱きかかえたままで歩く。8の字の時は、「あまの橋」で必ず落ちあわないといけない。願掛けは、最初の新月の夜に数字の9から始まり、0の数字まで順番に、約1カ月ごとの新月の晩に行う。そして満願の0の数字の時だけは満月の日に行う。
「難しい説明なようだけど、一筆書きで橋を渡る事を続ければ、満願の日には、家族がきっと祝福してくれる。
それまでは、決して人に話をしてはいけないということです」
「そうすると十か月後になるということかい」
「二十年近くも子どもと一緒に来たのですから、仕方がない事ではありませんか。その間に色々な話をしながら、デートを重ねるのですから、もしそれまでにお互いの気持ちが変わらなければ、結婚を許してくれるのではないでしょうか」
「僕の気持はかわらない」
「それならば今月からはじめましょう」
お互いに目を見ながら頬笑み返しをすると、智子の左ほおに小さなえくぼがあった。 

8 願掛け

今年の一月二十三日は、青く透き通っている空に新月の月あかりはないが、2人の決意を感じさせる星空である。今日からほぼ毎月、十月まで恋人同士の願掛けが始まる。仕事の事、家族の事、人生の事、自身の事、将来の事を話し合いながら、「もどり橋」の願掛けを実行する。今日は9の字なので、智子は、鉄骨造りの勇壮な「あまの橋」の右欄干で待ち合わせをした。友禅流しの仕事を終えた職人さんが、ちらりと視線を投げかけてきた。その後姿を所在なしに見ていると、洋が現れた。
「ごめん。待たせたかい。さあ今日からはじめるよ」
「満願の時はきっと子ども達からも祝福を受ける事が出来る」
「それまでは、家族に内緒にしておきましょう」
「そうそう。毎回どんな話をしたかを、交換日記で書きとめておかない」
「鍵をかけられる日記帳ね」
「新月はいつになるか。満願の日の満月はいつになるかも書いておきます。雨の日でも雪の日でも嵐の日でもこれを実行しましょう」
「鍵は一つしかないので、二カ月おきに、日記を書く人が持つ事にしますよ」
と約束して、一筆書きの9の字を歩き始める。「あまの橋」の右欄干から出発して、「あまの橋」を渡り、川のせせらぎを聞きながら左岸を下って、二つの橋下駄に支えられた「うめの橋」を渡る。そして、さいの川の右岸をさかのぼり、「あまの橋」の下をくぐって、左岸を歩き、木造りの「ときの橋」を渡った所で、交換日記を洋が預かることにする。約一時間弱であるが、ダンスや趣味や料理のこと等、たわいのない話が主である。日常の話がなぜこんなに楽しいものなのだろう。毎日生きているということそれ自体が、ほんとうは幸せなことなのだと改めて感じた。洋は、家に帰ると早速交換日記に、新月の日の予定、満願の満月の日を青色と赤色で印を押した。また、今日話し合ったことや逢えた喜びを詳しく書き、息子の安雄が寝息をかきながら幸せそうに寝ている様子も書きこむ。そして、自分の写真も表紙の裏にポケットを付けて挟み込んだ。
 二月二十二日、今日は朝から雪が降っていたが、今日のひと筆文字は末広がりの特別の8で「あまの橋」の袂からスタートしなければならない。こんな寒い時もあるのだということを話しながら歩くうちに、智子が足を滑らし川に落ちそうになる。洋はあわてて智子の手をつかみ、引き揚げ事なきを得る。これからは気をつけようと話し合った。と日記帳に書く。次回からは智子が日記帳に書く番だ。鍵と日記帳を渡さねばならない。僕の内容を読んでどんな事を思うのだろうか。またどんな内容を書いてくるのかと楽しい夢を見た。3月5日は、積雪はないが、朝から雨が降っていて肌寒い。洋は、8の字の一筆書きを全部書き記した日記を差し出して、8は終わったから、今日は7のパターンで行く。
「不思議ね、8だけが十二通りもあるなんて」
「8は末広がりになるようにとの想いがあるからかな、または無限に続く事と関係があるかもしれない。どのパターンにするか、何度も話し合いなさいという意味があるかもしれない。我々はえい、やーで決めたけれどもね」
こんなことにまでいろいろ考えを張り巡らしていることに少し驚愕した。
「今回と次回は私が書くのね。あなたの日記を読むのが楽しみだわ」
「ちょっと恥ずかしいな。あんまり期待しないでくれよ」
「何を書いたらいいのですか」
「今日感じた事、将来の心配事を書いてくれれば、それを相談ごととして解決案を書こうと思うよ」
「あまの橋」の出発とは反対側で今日は分かれた。今日は寒かったので、肩を抱こうかなと思ったが、満願まではとすこし我慢した。 三月二十二日。そろそろ桜の開花予定の噂が始まる頃ではあるが、河岸の蕾は恥じらいを持つように春をじっと待っていた。今日は子ども達の話をしようと決めて、「あまの橋」に行った。友禅染の着物を着た智子が少し遅れてきた。
「すみません。ちょっと小用で遅れてしまって」
「娘さんが、何か言っているのかい」
「ううーん。いや何でもないです」
年頃の娘さんとの間で、何かあったのだなと感じたが、それ以上そのことには触れなかった。今日6の字のパターンを歩く。1時間ほどだが、今日は少し疲れた感じがした。娘さんとの間で何があったのだろう。この様な願掛けをしていていいのだろうか。直接子供たちに話した方が良いのではないだろうか。
家に帰ると、東京の工業大学に受かった息子の安雄は、東京に下宿するので、自分の荷物をまとめていた。
「もし、何か相談がある場合、東京のおばさんの所に行くか、メールか携帯しろよ」
「切符は持っているか」
「当面の生活費はあるか」
「アルバイトはしても、ほどほどにしとけよ」
「勉強のできる時期は今しかないのだから、しっかり勉強しろよ」
「分っている、分っているって」と言いながらも、親のアドバイスは右耳から入って左耳から出ていっている。
「父ちゃんこそ、一人でやっていけるの。冷蔵庫を過信したらダメだよ。賞味期限の切れたものは廃棄してよ」
「もったいないことしないように、食べるだけしか買わないようにするよ」
「健康保険証を持ったか」
「うん、うん」
「今日は、お前と差しで飲むか」
一浪して、大学に入ったので、二十歳になったばかりである。
「明日早いから、今度にするよ」男親は、子どもと二人で酒を飲み交わすのを二十年も待っているのだ。親の心、子知らずだと思う。
 息子が大学に入ってから、帰って来る度に大人びて、今では煙草ものんでいるそうだ。酒も強くなり、帰ってくると焼酎のお湯割りやハイボールをうまそうに飲んでいる。七月初旬に帰って来た時、
「父ちゃんは、これからどんな生き方をしていくの」
などと大人びた言い方をするようになり、
「いい人見つけて結婚したら」
なんてことも言う。
「ばかやろう」 
と言ってみたが、直木智子さんの事を薄々知っているのではないかと疑ってもみる。しかし満願の十月までは息子といえども話をしまい。安雄は、大人びた言葉を残して、東京に帰って行った。今度帰るのは、正月だ。御墓の掃除の仕方も今度教えてやろうと思った。