中華県(魏,蜀、呉)の選挙戦
 
 国政選挙が終了し、新しいデジタル国家創造を標榜する新官僚が勢ぞろいをした。これが地方行政にも波及し、この中華県では、魏市、蜀市、呉市を代表する曹操田氏、劉備野氏、孫権馳氏の県知事を争う選挙戦が繰り広げられた。曹操田氏は国政では、内務省の代理として中華県に補助金を持ってきたので、農耕・水産に携わる住民には根強い支持があり、孫権馳氏は文化教育省からの関連から教育面で力を発揮してきた。劉備野氏は、蜀市の市政発展のために市民との対話や若者との協働で多大な努力を尽くしてきた。
 今回の選挙では18歳以上が選挙権を持つようになったので、若者への政策の浸透が大きな課題を持つ。従来の地盤、看板、地縁と金権だけでは、候補者の優位性を予測できない。なぜなら“特に支持なし党”が保守勢力の全票数を超えているので、まとまりのない彼らの投票行動によってはどの陣営も安心してはいられないのだ。
 中華県は明治維新以来、歴代の知事は内務省の天下りで、補助金を引っ張ってくる知事として長期政権を維持してきたことによるこの国でもまれな県である。戦国時代以前では、住民の自治組織で百年余り運営されてきたのに、戦国時代以降は他県の領主が覇を唱えてことにより従順な県民性となった。そして高齢者や産業人は政治の安定した中央からの補助金を持ってくる人に投票をするのが常であった。
しかし、実態はどうか?100万人の県民は“おぎゃ”と生まれた赤ちゃんがすでに130万円の負債を抱えられていることをほとんどの県民が知らない。水戸黄門の歴史によく出てくる悪徳代官が政商と組んで貧しい家を借金漬けにし、そこの娘を売らせる如く、補助金漬けの政治体制をなじませてきた。県庁の人事も重要ポストは内務官僚で占有されている。縄県や海道県ではその補助金の麻薬的な黄金光のために、いつまでたっても自立できないでいるのはこのためである。この国では都県だけが負債を持たず、そこの県知事になれば玉の輿に乗る心境であろう。しかし他の県では負債が負債を呼びこの国の国民一人当たりの負債は1000万円に上る。
 新資本主義を代弁するこの国の首相は、その借金をデノミによって踏み倒そうと考えているのかもしれない。国民は連合国との戦いで敗戦国になった時に味わった国の経済的破綻のことも今では忘れてしまったのだろうか。子や孫の世代に先送りしていけば何とかなるだろうと考えているのであろうか。

1)選挙の公示前

 魏市の曹操田が今回も覇権を握ろうと安定した県政に滑り込みをかけた。孫権馳氏は慌てふためいた。国政のパイプを築いて県政界の長老として君臨してきた彼の足元がぐらぐらと崩れてしまった。それは陰で動く内務省の横やりから始まった。中華県の行政府の責任者たちはすべて内務省からの派遣で構成されていて、その長となるべき知事は今までもそうであったように内務省の息がかかったものでなければなれなかった。従って文化教育省の人事が行われることに反発を示した。行政のお役人たちは縦割りで人事されており、一度所属したところのタガを外れることがまずはできない哀れな人達である。それを嵩にかけて、県民に対して高圧的に対応してきた。その為、省の管轄が変わってはいけない。県民からすればどちらの省に変わろうとも人事はその省が行い悪代官の所業のもとにうな垂れるしかない。
 孫権馳氏と曹操田氏の争いは中央政界の分裂を生んだ。しかし内務官僚の圧倒的な攻勢に孫権馳氏はひるんでしまった。そこで、孫権馳氏は新人としてどの省にも所属しない劉備野氏との合従連衡を企てた。彼が秘書の周馳を呼んで内密な謀を策した。周馳は早速劉備野氏の所にとんだ。そこに劉備馬鹿が現れた。彼は劉備野氏の側近で、諸葛亮孔明に匹敵する知恵者であった。彼ら2人の話は数時間に及び、その内容は秘されたまま劉備野氏にもたらされた。

2)選挙公示後

 曹操田は内務官僚を引き連れさらに県議の各派閥を味方に加え、選挙活動に自信を示している。マニフェストも、そこそこにして、選挙前から勝利間違いなしの布陣である。そして投票日の1週間前から赤壁に選挙事務所を立ち上げ、意気揚々としていた。しかし票田の一部で瓦解が始まっていることに気づいていない。劉備馬鹿と周馳による水面下の工作が少しずつ浸透し始めた。若者を中心とする改革の炎に明かりがともされた。

3)赤壁の戦い

 選挙投票日である。これからのデジタル民主主義を担うべき若者たちがこぞって劉備野氏、孫権馳氏に投票しだした。今までの県政は何であったのか。借金を先送りする内務省のやり方は何であったのか。悪代官は誰でそれを替えぬ限りは、若者たちの未来はないと立ち上がったのである。その効果が成人男女に波及し、高齢者の心まで変化を起こさせた。まさに東風に乗って怒涛のように押し寄せる赤壁の戦いである。劉備野氏、孫権馳氏の票が圧倒し、高をくくっていた曹操田氏は地に落ちた。

4)蜀市の戦い

 その余波を受けて、税金の高額な投資を必要とするLRTに“NO”が突き付けられて、内務官僚から立候補した劉備村氏が落選し、若者を代表する劉備孔永氏が市政を担当することになった。
 デジタル技術を駆使して、SDGsに基づく行政の施策を打ち出し大改革を実行した。人事は大幅に刷新され、人工知能がコンシェルジュとして市民の窓口に対応することになり、わかりやすくさらに情報民主主義が実践されて新しい蜀市に変革していった。行政の職員も創造的、発展的な提言を行い、市の問題に真摯に立ち向かった。如何なる政策にもメリットとデメリットを明記し市民にとってわかりやすい透明化された行政府が地方都市に出現した。
 大手のIT企業もこの変革に興味を示し、蜀市は世界的なデジタル技術のメッカとなっていった。若者は地元のみならず世界の各国から集まり平和で活気のある社会へと変革する大々的な提言が行われた。これにより中華県も変化がもたらされ、財政の赤字も解消され、それに参画した若者が次々と重要ポストに登用された。

 


作者:馬鹿吐露
所在:金沢
経歴:不詳
趣味:バドミントン、囲碁
赤壁の選挙戦


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