作者:高木勇藏
所在:金沢
経歴:街の歴史研究家
趣味:植物栽培、写真

古き金澤








   金沢城










    兼六園












    常盤橋











    天神橋





    梅の橋
(三)獅子頭の構造

 文献『獅子頭』によれば、次のように書かれています。
『此の大獅子は重さ十四キログラムで本体は桐の白木造りである。頭部と顎の二材からなり、角は白木で頭頂の四角い穴に差し込み、耳は左右の四角い穴に入れ、額の前方に半月状に白い毛が植えてある。目は鍍金した銅板をはめ込み、中央の穴に黒漆塗りの金属板を入れて瞳としている。鼻孔は裏に貫通しており、歯は掘り出しで、後頭部縁には白の皮を宛て釘で固定してあり、鬣は別材を使用し、顎は三枚の余席からなり、舌は掘り出しで、後頭部縁には白の皮をあて、前方を鋲で止めてあり、後方は蚊帳を結ぶための紐を通すようになっている。頭内部には?状の持棒をはめ込んであり、頭と顎は一本の鉄棒で連結している。』

二、獅子頭及び付属品の寄託について

昭和五十一年の夏頃石川県立郷土資料館長から獅子について調査依頼がありました。その頃は吉尾開氏が町会長で私は庶務を担当しておりました。保管依頼先である町内の善福寺に赴き、獅子に関係する一切の品目を用紙に記入し、今後獅子舞をするか、獅子舞の棒振りは何流かなどを回答した事を記憶しております。現在になり、回答書の「写し」を残していなかったことを後悔しています。
 間もなく、材木町六・七丁目の町会は獅子(付属品を含む)を石川県立郷土資料館に寄託しました。獅子頭は旧北陸銀行尾張町支店であった石川県立郷土資料館分館・町民文化館に展示されましたが、その後出羽町に完成した石川県立歴史博物館に移管されました。獅子が石川県立郷土資料館分館に展示されるまでの経緯については材木町六丁目には関係資料が残っておらず当時の町会長も記憶しておられないそうです。そこで、材木町七丁目(現橋場七友会)の町会長を経験された方々に尋ねたところ、当時の関係書類などが町会長の申し送りとして保管されている事を知りました。現橋場七友会に保管されている関係書類(9)によれば、石川県立郷土資料館長が当時の橋場七友会町会長の山口忠雄氏にアンケート調査を依頼したのは昭和五十二年六月二十一日でありました。その後、色々やり取りがあって獅子頭及び付属品が寄託されたのはその年の十月十一日であり、館長から山口町会長宛ての感謝の所感と借用書は十月十一日の日付となっています。当初借用書の更新期限は二年となっていたらしいが昭和六十年十月十日までの借用書しか残っていません。獅子が寄託そして展示された石川県郷土資料館分館の推移及び獅子頭、獅子舞について、文献「老舗の街」尾張町シリーズに次のように書いてあります。昭和五十一年七月北陸銀行は支店の統廃合の関係から、尾張町支店に統合し閉店せざるを得ない状況に立ち至った。八月には北陸銀行の深い理解の基に石川県に寄贈され、九月には石川県指定有形文化財(建造物)に指定された。外観が和風で内部が洋風に仕上がり、建築以来七十年近くたっているにもかかわらず基本的にはほとんど痛んでいない堅牢さである。昭和五十二年十一月化粧直しをして、石川県郷土資料館の分館・町民文化館として開館しました。藩政時代から今日までの町民文化財を展示公開する施設として活用する意味で名称も変わったのです。主に展示していた獅子頭のほとんどが近世末期に作られたもので、加賀三名工と言われる『武田有月』『松井乘運』『沢阜忠平』の作品もあったようである。なお、加賀獅子頭は他地方のものに比べて非常に大きく、大きなものになると前幅七十センチメートル奥行き百二十センチメートル重さ二十キログラムと言うものもおり、さすがの私もたじたじとした思いでした。金沢市周辺には百以上の獅子頭が伝承され、町民文化館ではそのうち三十頭余りの寄託を受けていたはずです。(彼らは現在は県立歴史博物館の収蔵庫でしばらくの休息をしているはずである)同じく展示されていた獅子舞の由来は詳らかでないが、やはり近世末期に盛んであったと聞く。加賀獅子舞は勇壮活発な動作で棒・長刀・太刀・鎖鎌などを持って獅子を退治するという全国でも珍しいもので、今なお一部では祭礼に出して町を練り歩き旧藩当時の光景を偲ばせるものがある。獅子は頭と胴体からなり胴体は麻布を数反縫い合わせ長さ九〜十三メートル幅七メートルの布袋状とし獣の渦毛と牡丹花の模様を染めてカヤという。獅子頭の左右にカヤのフチを持つ若者十人余り皆友禅縮緬または本縮緬に黒の半襟をつけた袢纏を着、朱羅紗に町名を白く現したケンタイを前腰につけて1人は獅子が生けるがごとく棒振りに呼吸を合わせて頭を上下左右に動かす。棒振りは頭にシャンガンと言う黒または白の馬毛で作ったものを被り、その服装は友禅染の小袖を付け袴をはき、棒・長刀・太刀などの武器を持って一人ないし三人で演技しながら獅子に向かっていくのである。棒術では現在まで伝承されているのは半兵衛流をはじめ七流が残っているとのことである。
(展示内容は県立町民文化館のパンフレットより引用)
 『全国を見ても特異な加賀獅子の特徴は獅子頭だけでなくその胴体にあるといってよい。大きな胴体の内側には中囃(芸者衆の三味線や町内の若衆の太鼓で囃す)が入り、贔屓の芸者や日頃思っている若者を一目見んと集まる人出も多く、百万石の庶民の心意気を見せてくれている。』
 こうした常設展示以外には石川県全般にわたる郷土に関する企画展を開催していた事を思い出す。引き札天、加賀暖簾と袱紗展、瓦版刷り物展、看板と暖簾展、正月の遊び道具展、金沢の芝居と映画展、鶴来の歴史と文化展、髪結いと化粧展、小松の歴史と文化展、昔の地図展等とそれぞれに興味が尽きなかった。

三、参考文献及び資料

○参考文献
(1)獅子頭                  石川県立歴史博物館 平成十年
(2)金澤叢語                 和田文次郎 加越能史談会
(3)稿本金澤市史 風俗編第二     和田文次郎
(4)民俗民芸 双書95「祭と民俗」    小倉学
(5)老舗の街(尾張シリーズ6)      尾張町商店街振興組合
(6)材木町連史                 材木町校下町会連合会

○参考資料
(1)獅子頭等を収納した長持ち等の写真
(2)氏神の祭礼時に町内に飾った獅子
(3)材木町六・七丁目共有獅子に対する目録同管理権の確認書(木版に墨書)
(4)獅子修繕決算書報告書
(5)臺覧獅子舞収支決算書
(6)臺覧獅子の世話人    
(7)獅子舞実施の許可書(二枚)
(8)招魂祭の獅子舞収支決算書
(9)橋場七友会が保管している獅子に関する書類一式
 a.獅子頭(具)に関するアンケート依頼と回答書
 b.橋場七友会の獅子の寄託に関する事後承諾についての町内回覧文書
 c.石川県立郷土資料館の館長から町会長宛ての感謝の所感
   (昭和五十二年十月十一日)
 d.借用書(昭和五十二年十月十一日)
   同 (昭和五十四年十月五日)
   同 (昭和五十六年九月二十七日)
   同 (昭和五十八年九月十六日)
 e.郷土資料館便り(第二十五号)(昭和五十二年三月二十五日発行)
   獅子舞(具)の保存と調査

○付録
大獅子関係品目一覧表

あとがき

 材木町六・七丁目(現橋場七友会)共有の大獅子について、以前から文献や資料を参考にして調査し、将来のために記録を残したいと思っていましたが、資料が少なく、また拙いため十分な内容を編めることが出来ませんでした。お気付きのことがありましたら、お教えいただければ幸いです。なお、この度、橋場七友会の方々をはじめ、ご協力をいただいた町内の皆様方に厚くお礼申しあげます。執筆当初から懇切に御指導いただいた友人に心から感謝の意を表します。

平成二十一年四月一日
高木勇藏
金沢市橋場町六番一六号 (旧)金沢市材木町六丁目七番地の一