プリウスの0.06秒について
感性と技術の狭間で

 2月10日の朝日新聞に「プリウスリコール」という表題で、なぜリコールすることになったかを技術的な解説を混ぜて掲載している。その中に、「届け出によると、問題があったのは、滑りやすい道でブレーキをかける際に、タイヤのスリップを防ぐABS(アンチロック・ブレーキ・システム)の電子制御システムの設定が、不適切なため、@ブレーキをかけている途中に氷盤等滑りやすい部分を通過してABSが作動すると、ブレーキが一瞬利かないように感じる”空走感”や制動の遅れが生じるAそのままの力でブレーキを踏み続けると、予測よりも制動距離が延びる恐れがあるという。
例えば、時速20Kmで走行中に通常の力でブレーキを踏み、ABSが作動した場合、一般的なABS装着車よりも0.06秒長い0.46秒の”空走感”を感じ、制動距離も0.7m長くなるというデータがある。」として図で紹介している。
そして、0.06秒の差はプログラムを改修することで対応できるとしている。
※ABS=車輪がロックされないように制動力を弱める
ここで、この解説の中で2つの疑問点をあげたい。
1)停止目標に対して普通のABS車は0.6m制動距離が延びること。そして、プリウスではさらに0.06秒の遅れで、
0.7m延びる。停止目標に対して普通のABS車は制動距離が0.6mも伸びれば、いわゆる追突事故は避けられない。ここでは、ABSを搭載していなければ、スリップや滑りでもっと制動距離が長くなったりハンドル操作に危険性があるということであろうと思うが、ここで言う停止目標とは何なのか。
2)ABSの作動時間0.46秒はどのように決められているのだろうか。追突事故を防ぐために0.46秒でなく0.4秒以下ではだめなのか。
この解説からは、この答えは不明である。
ところで、0.06秒という感覚は通常の生活の中には見出しにくいが、TVの画像は1秒間に30フレームすなはち約0.03秒毎に1枚の映像を流して、それを連続的に送信することにより映像を作っている。また、映画では1秒間に24フレームすなはち約0.04秒ごとに1枚の映像を流している。プリウスの0.06秒はこのような世界の時間と同じところにある。勿論映像の世界では、1枚の映像が送れなくても人身事故は生じないけれども、車の世界では追突事故が生じてしまう。
以前、博覧会の大型プロジェクション映像システムを構築する際、コンピュータ技術者と映像技術者が次の様な議論をしたことがある。コンピュータではCPU速度は3Gbps等のように、1秒間に3*109ビットをパソコンレベルでも処理しており、1ビットの違いでエラーが発生する。コンピュータ技術者は、映像は何ビットの時間をおいて、スタートさせますか。と映像技術者に質問した。映像技術者は、1、2フレームの誤差はいつでも生じる可能性があるから、約0.03秒の誤差は無視してもよいです。またそのようになっても視覚的には気がつかないので問題ありません。と答えたものだから、コンピュータ技術者はその間に108ビット(100Mビット)もの処理をどうするかの判断をしなければならなくなると目を丸くした。そこで、双方の話し合いでアイドリングタイムのようなものを設定して、映像のばらつきを吸収していった経験がある。また、ここに音響技術者が入るとさらに議論はややこしくなる。映像はS/Nで30db前後までしか必要としないが、良い聴覚を持っている人は、70dbの音を聞き分けるし、いわんや0.03秒のぶれがあるとそれを聞き分けてしまう。結局は、音響技術者の感性に合わせて、コンピュータ技術者がシステム設計を行った。これに対しては、映像技術者は、少し不満顔ではあった。
ところで、今回のリコール騒ぎを考える際、
1)コンピュータ技術者と半導体技術者と機械系技術者の意思疎通の問題
2)試験走行をしたテストドライバまたは輸出車を船に乗せるドライバーの意見
3)下請けや海外工場などの品質管理の考え方の徹底
4)経営者への迅速な情報の伝達
はどの様であったかが、今後調査報告されていくとは思う。しかし、0.06秒に対する問題には、それぞれのフィールドの異なる人たちのチームワークと企業文化が潜んでいるような気がする。この時こそ社外のF−1レーサや音楽家やシステム工学者や物理学者の人たちの意見を真摯に聞いて、指摘されたことを謙虚に受け止める場を作っていくべきではないか。JR西日本の不祥事のように、上に情報がもたらされなかったり、外部への隠ぺい体質、そして、それを社内的にオープンに議論できない体質がもしあるとすれば、これを機会に改革すべきではないかと考える。日本の企業の中で成功の記録は残存するが失敗の記録は残されていない。もし担当責任者のしっぽ切りで、この解決を図ろうとするならば、今後に大きな禍根を残すであろう。現在、担当責任者が一番苦しんでいるだろうから、その人たちに暖かい目を向かなければならない。そして、自らの原因を技術的に、組織的に、人的に探求して、この失敗を糧に大きな技術者に育ってもらいたい。あなた方こそこれからのトヨタを支える人になるであろうし、日本企業の模範にもなる人になれるであろう。失敗の中から技術や企業文化の将来の指針を明確にして、それを維持発展していくべきである。

〜数学的な考え方は、日経新聞を読むとき色々な場面で遭遇する〜