「物をみること」  No.5
私たちは可視光線で物を見ている。蝙蝠は超音波を物体に発信しその反射波で物を認識しているため、夜でも、暗いところでも飛び回ることができる。蛇は赤外線に感じて物を見ているので、赤外線を発する体温のあるものに噛み付くことができる。例えば、一列に人が歩いている場合、1番最初の人の体温からの赤外線を感じ、待機していて、その後に来る人が噛まれる事が多い。蝶は紫外線で物を見ているので、花の中にある蜜を見極めながらふらふらとしかし目標に向かってまっしぐらに飛んでいる。科学技術は、色々な動物のものの見え方を明らかにしてきた。そして、現在私たちは蝙蝠や蛇や蝶と同じ見方が出来る様になった。
 私たちは望遠鏡で星を見る時は可視光線の青白い光を見ている。現在の天文学では、X線やマイクロ波で星を見ている。ハワイにある日本の所有する天文台スバルは、毎日何億光年も離れた恒星を観測している。そして野辺山にある電波天文台では、数機の50mφの大きなパラボラ型アンテナで星を観測している。また、神岡の山に掘られたトンネルの中では宇宙から飛んでくるγ線を、超純水に入射させそこから出てくるチェフレンコ光を光電管で増倍してそれを観測している。宇宙では、空気が希薄で、空気の揺らぎが無いので、さらに多くの恒星を観測が出来るためハッブル衛星が地球の周りを回りながら宇宙を観測している。ここで、スバルの天文台はなぜハワイの高山の上に存在するのでしょう。ハワイでは高温多湿のため、雲が年中高山を覆っています。そのため、下界からの町の光を雲が遮断してくれるためと、ハワイの上空は空気が良く澄んでいるため、観測に一番都合が良いためです。ちなみに、スバルの望遠鏡の感度は、東京から富士山の山頂にある蝋燭の火を確認することが出来るくらいの感度があります。神岡ではなぜトンネルの中で観測しているのでしょう。地球の表面では、社会環境から発せられる様々な粒子が飛び交っているため、ガンマ線と区別が出来ません。トンネルの中ですと社会環境から隔絶されているので、ガンマ線以外のノイズの入り込む余地がありません。ところで、ガンマ線は恒星の寿命が尽きて、大爆発を起こした際に生成されそれが地球にやってきます。その透過力は地球をも貫通して飛び去ってしまいます。
 星を見るということを皆さんは不思議だと思いませんか。私たちは過去、現在、未来と時間の一方向性に従って経験を積み重ねています、そして過去を二度と経験することは出来ません。例えば10万光年離れた星を観測するということはどういうことでしょうか。10万年前に恒星を出発した光を、すなはち10万年前の過去を現在見ているわけです。ひょっとしたら、その星はもう消滅しているかもしれません。太陽の光でも8分18秒前に太陽を発した光を見ています。星を見るということは現在と過去を同時に見ているということになります。星は夜現れて真昼では星を見ることは出来ません。しかし私どもの研究会で真昼星を見る会を開催して、天井の星を望遠鏡で観測したことがあります。もちろん星は消えるのでなく、太陽の光が明るすぎるため肉眼では見にくくなっているだけです。時々昼というのに輝く月を見ることがあるでしょう。それと同じように、真昼恒星を見ることが出来ます。但しその際気をつけなければならぬことは、絶対に太陽を望遠鏡で見てはいけません。あなたの眼が瞬時に目玉焼きになってしまいます。また私どもの太陽はあと50億年ほどすると拡大し爆発して消滅してしまいます。もちろん私たちはその時には地球上に居りませんが、私たちの子孫たちは、地球から離れて他の天体の惑星に移住しているかもしれません。そのためにも宇宙開発が大切です?日本の宇宙飛行士が宇宙ステーションで仕事をしていますが、将来を考えて移住先を探しているのでしょうか。
 18世紀の学者がなぜ夜が来るのかと疑問を持ったことがあります。私たちは毎日夜が来ることを経験しています。彼は宇宙が無限で星が均等に分散している場合を考えて数学的に式を立てました。星の光は、遠くにあれば地球との距離の2乗に反比例して光の輝度が減少します、しかし星の数は距離の2乗に比例して増加します。それを掛け合わせて宇宙が無限であることから積分すると、無限の光が地球上に届くことになり地球上に夜が来なくなります。しかし毎日私たちは夜が来るのを経験しています。この推論のどこに矛盾があるのでしょう。もし星達が地球からどんどん遠ざかる様に移動しているか、または宇宙が無限ではなく有限にしなければならないか。現在の天文学では、約137億年前に大爆発があり、最初宇宙はものすごい高温の小さな光の玉でそれがどんどん拡張して宇宙が形成されていったと考えられています。宇宙が出来てピンポン玉の大きさになったのは、10のー30乗秒でした。0.000000・・・・・01秒ということで0が30個も付きます。現在では、137億光年の広がりを持つ宇宙になってしまいました。さらに現在も宇宙は拡大を続けています。光エネルギーが太陽や地球を造ったというのは、アインシュタインの式E=Mcから導出され、E(エネルギー)が、M(質量)を持つ物体に変換することで説明できます。
 今度は透明人間について考えます。映画や小説の中に出てくる透明人間は、科学者がその薬を発明し自らが服毒する事からシナリオが始まっている。映画で見る透明人間は姿かたちは常人には見えず、接触やペンキを塗ったときにその姿を感じたり認識できる。ところで完全な透明人間は、目が見えるのだろうか。人間の目は瞳に可視光線を集めて、それをデテクター細胞が感じて信号が脳に送られ、頭の中で形が創造され見るという結果になる。しかし完全な透明人間は、体すべてが光を透過するので、デテクター細胞が無く又はあったとしてもそれも光は透過してしまうので、光からの信号処理が出来なく脳に信号が伝わらないので、透明人間は物が見えない。従って早く歩くことも出来なければ逃げることも出来ないのですぐに捕まってしまうと言う事になる。しかし、この物が見えないという状況は、常日頃私たちは経験している。例えば真っ暗闇のとき、洞窟の中を光無しで入ることは出来ないが、蝙蝠であれば超音波を反射させながらやすやすと洞窟の中を飛び回ることが出来る。すなわち暗闇の中の人間は透明人間のように、人には見えないが、もちろん自分も人を見ることが出来ないが、こうもりにとっては丸々姿が見えてしまう。蝶も昼のさなかの紫外線が豊富なときよりも、夕方や早朝の紫外線が少ない時の方が、花の蜜を探し易いかもしれない。
 
「みる」という漢字を辞書で調べてみると、「見る」「視る」「看る」「観る」など単に物を見るだけから、ものを深く考えるまでの幾段階化の「みる」がある。ところで、我々の視覚系を考えると目に入る光の粒は網膜に存在している視細胞に受容される。その視細胞の中にあるロドプシンとよばれる視物質は,光があたると反応し,神経インパルスが発生する.その時点では我々はまだ物を見ていない。神経インパルスが神経細胞を伝達して脳に達し、そこで形が構成され認識される。風の中で旗がはためいている状況を見ると、ある人は風のために旗がはためいているという、しかしある人は旗がはためいているので風があるというかもしれないまたはそれを見ている心が揺れているからというかもしれない。
星を見るということは、太古と現在を同時に見ていることになる。ところで126億年前(現在の観測ではこれが限界です。ただし宇宙の始まりは137億年前と予測されています。)の星を見る時どのように感じます。126億年もの間いかなる物質にも衝突せず、その光が吸収されずに宇宙空間を重力場に曲げられながらも私の所にまっすぐ飛んできました。それを見てしまった時・・・。126億年も旅をしてきたのに、私に見られたため光は電気刺激に置き換えられ、脳に伝えられてしまった。そこで寿命が尽きた。
1)見なければよかった、そうすれば寿命がさらに伸びたのにかわい そうなことをした。
2)私に見られなかったら、冷たい地球の地面に吸収されていただろ う。だから幸せ だったに違いない。
3)私に見られたために、最後は柔らかい皮膚の上で成仏出来たので、喜んでいるは ずである。
4)誰も見られないで、もっと宇宙空間を進んでほしかった。
5)つまらない質問をするな。光には心がないので何も感じないだろ う。
6)その他
さて皆さんはどのような答えを用意されるでしょうか。

 
野辺山の電波望遠鏡
   1/f ゆらぎの世界